5.サマルカンドからシャルク号でブハラへ―周辺を歩き回る(4日目)

2016年07月|12日間の休暇がもらえたのでウズベキスタンに一人旅
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4日目午前(サマルカンド)

サマルカンドワイン工場

旅の4日目はお昼前にホテルでピックアップしてもらい、列車でさらに西「ブハラ」に向かいます。お昼までは時間があるので、ガイドブックに載っていた「サマルカンド・ワイン工場」(Hovrenko Wine Factory)へ行って見ましたが、残念ながら予約のない人は見学ができないとのこと。ワインの購入だけでもと聞いてみるものの、ここでは販売してないと門番らしき人が言います。ワイン工場でワインを売ってないはずはないと思いましたが、仕方ないのでどこかのお店で買うことにして引き下がります。

あとでガイドブックを見ると本当に売っていないらしいです。理由は「小学校が近くにあるから」とか。ソ連時代は薄かった宗教色がだんだんと元のイスラームの姿に戻りつつあるのかもしれません。

ワイン工場のフェンスはぶどう柄。

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郷土史博物館

目当てのワイン工場を見学できず、目的を見失ってしまい再度ガイドブックに目を通すと、郷土史博物館(Regional Studies Museum)というのが近所にあったので行って見ることにします。観光の中心であるレギスタン広場からは随分離れているので、観光客はほぼいず貸し切り状態でした。

通りに面した門。脇の入り口から入ってすぐのところは博物館と関係のない建物のようです。

中庭。どことなくイスラームの建築とは違う雰囲気があります。

郷土史博物館。もともとは裕福なユダヤ人のお屋敷。

ここはもともとは裕福なユダヤ人の住居だったそうで、イスラーム建築とはまた趣の違う意匠です。道路に面した門から入ってすぐの建物に入ろうとしたら、どうやら関係のない学校か何かの施設だったようで、関係者に「あっちだ」と怒られてしまいました。

内部の意匠を凝らした内装は見ものですが、肝心の郷土史関係の史料はそれほど充実しているわけではありません。ただ展示されていた大きなスザニ(刺繍された布)は見ごたえがありました。館内ではスタッフのおばさまたちが掃除などをしていましたが、見やすいように掃除道具をよけてくれたり写真を撮ってくれたりと非常に愛想がよかったです。

スザニの展示で休憩するスタッフのおば様。

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近所にはハマム(蒸気浴場)がありましたが、使われていないっぽい感じ。

探し回ってやっと見つけた酒屋でビールを購入。愛想の悪い店だった。ホテルで一息ついてブハラへ向け出発。

4日目午後(サマルカンド→ブハラ)

シャルク(Sharq)号でブハラへ

お昼前にホテルでピックアップしてもらって、再びサマルカンド駅へ向かいブハラへ向かう列車に乗ります。サマルカンド駅では入り口でチケットを提示して、手荷物のX線チェックや金属探知機によるセキュリティチェックを受けるなど、乗客以外は立ち入れないようになっています。安心ではありますがやはり面倒くさいです。

今回乗車するシャルク号はタシュケントからブハラを結ぶ従来からある特急列車ですが、私はサマルカンド~ブハラ間だけ使用します。座席はいろいろな種類があるようですが、私が乗車したのは6人掛けのコンパートメントでした。私以外の乗客はタシュケントから乗車してきたようで、私が入室したときにはすでに和気あいあいの雰囲気です。私はロシア語がわからないし、他の5人も英語がわからないようなので、ずっと窓の外を眺めていました。

サマルカンドからブハラまではずっと砂漠の風景が続きます。

サマルカンドからブハラまでは3時間くらい。最初の1時間くらいは他の5人で話をしていたようですが、途中でやはり外国人の私が気になるようで、声をかけてきてくれました。まずは「ロシア語は話せるか?」。当然答えは「ニェット(ノー)」ですが、少しだけ英語を話せる若い人がいて、片言同士の会話をしていました。その時ややこわもてのロシア系らしきおっさんが電話を差し出してきます。「何だ?」と思い、その電話に向かって「ハロー」と応答すると、流暢な日本語が聞こえてきます。しかも声の調子からするとどこかで聞いたことのある声。一昨日サマルカンドに来た時にしつこくガイドを申し入れてきて、昨日は街中で出会って晩飯を食おうみたいなことを言ってきた学生のようです。こわもてロシア系が「明日一緒に遊びに行きたいと言っている」と伝えてきたのですが、なんだか変な感じがして、「明日はツアーに参加しているから駄目だとい伝えてくれ」とだけ言って電話を返しました。ロシア系はさほど残念そうでもなく了解したような感じでしたが、誘いに乗らなかったのは良かったのか悪かったのか、今となってはわかりません。ただ一人旅が4日目で、そろそろ誰かと一緒に話をしたいと思っていたところ(日本語でも英語でも)なので、変な電話通訳で誘われなければついていったかもしれません。

マリカ・ブハラ

ブハラ駅で再びピックアップのドライバーと落ち合って、ホテルに送ってもらってチェックイン。ブハラでの宿は、観光の中心ラビハウズにほど近い「マリカ・ブハラ」です。サマルカンドでの宿が観光の中心から随分離れていたので、これはうれしいです。宿のスタッフも程よい距離間だし、もちろん部屋は清潔。なんでも旅行会社が通常用意しているホテルが改装か何かで使えなかったため、勝手にアップグレードしてくれたそうです。

マリカ・ブハラのお部屋。やはり一人では広すぎるが、仕方がないです。

この旅行に出発する前から、サマルカンドも素敵だけれど実はブハラに行くことを一番楽しみにしていました。シルクロードの起点である西安から現在は中国の一部であるウイグルを通過し、サマルカンドを経てここブハラに到着した後は、ヒヴァを通ってウクライナのキエフを経由してイスタンブルへ行くルート、イランのイスファハン、イラクのバグダッドを通過してエジプトへ向かうルート、さらにはアフガニスタンのカブール、パキスタンのペシャワールを経由してインドのアグラへ向かうルートの3ルートに分岐するのです。まさにシルクロード上の文化の十字路です。これらの国々へも行って見たいのですが、イラクとアフガニスタンは行くことができず残念です。

ヒヴァにあったシルクルードの地図。

ブハラの街を下見

ホテルにチェックインしたのが夕方4時くらいだったと思いますが、さっそく付近を散策します。ブハラには通りの交差点を屋根で囲ったタキ(Toqi)と呼ばれる建物があって、現在はその中はアラブ風のデザインのアクセサリーや、スザニと呼ばれる刺繍製品などを扱うお土産物の店になっています。

タキ・テルパクフルシャン(Toqi Telpak Furushon)の入り口。

タキ・ザルガロン(Toqi Zargaron)の入り口。

内部はお土産もの屋さん。

あまり商売繁盛な感じではない。シーズンオフだから?

タキの屋根はドームが連なって、見ようによってはタコ焼きに見える。

タキの屋根。やはりたこ焼きです。

夕方だからか、シーズンオフだからか観光客はほぼ見かけないです。明日の下見もかねてアルク城まで行って見ます。アルク城は歴代のブハラ・ハンの居城だったらしく、内部がどうなっているのかぜひ見てみたいとガイドブックを見ながら思っていました。今日は夕方なので入場は明日にします。

アルク城(Ark)。歴代のブハラ・ハンの居城とのことです。入場はあした。

通りはこんな感じで閑散としています。

ブハラのシンボルであるカラーン・ミナレット。土色の塔が乾いた空気によく似合う。

ブハラに到着して興奮してあちこち歩き回りましたが、お腹が急に減ってきました。そういえば昼飯を食べてないことに気づき、少し早いですが夕飯にします。通ってきた道を戻り、ラビハウズという池のほとりの野外レストラン(RESTAURANT Lyabi Hauz)に行って見ることにします。

まずはビールとラグメン。おいしいい焼うどんでした。

シャシリーク。こればかり注文している気がする。定番になってきました。

ラビハウズの噴水が気持ちいい空間です。

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日がとっぷり暮れました。アラブっぽい雰囲気だけど、中央アジアです。

ブハラ名物のコウノトリの形のハサミ。1個だけ買おうと思ったら、オスとメスとでセットだからと2つ買わされた。名前をその場で彫ってくれます。

 

 

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